茶帯トーナメント(引退試合)

いよいよ僕の引退試合が始まる。

高校生の時に読んだはじめの一歩の「強いってなんですか?」のセリフに共感した。強いってどういうことだろう。強いってどんな気持ちだろう。強くなりたい。そう思った。

空手、中でもフルコンタクト空手で黒帯をとれば、強いって言える、僕の定めた基準だ。そう思って、高校1年の後半に僕は近くのフルコンタクト空手の道場に入門した。そこで2年ほど頑張り黄帯まで進んだ。

長野に転居し、現在の空手道場に通い始めた。流派が違うので白帯からだ。
そこで6年ほどかけて茶帯まで進んだ。当時はサッカーもやっていたし、仕事も多かったので稽古になかなか行けないことも多々あった。
それでも帯はあがっていったので、まさかその後8年ほどの間茶帯で過ごすとは思わなかった。。。

黒帯をとるためには年に一回開かれる茶帯トーナメントで優勝する必要がある。他にも手段はあるが、どれも簡単ではない。
毎年試合に出ては、負けた。1,2回勝つこともあるが、優勝はなかなか難しい。
試合に出ることは恐怖だ。無事に帰って来られるか、と。腕やアバラを痛めたこともあるし、後頭部を痛めてCTをとったことも。
出場するだけでも精神的肉体的にハードルがあるなかで、勝ちきるということはさらに技術や体力、ハートが必要だ。熾烈な試合を制して昇段するベテランもいれば、プロを目指すような若者が昇り龍のように昇段していく。
黒帯の人はみなさんカッコいいし、強い。
「自分はそっち側に行けるのか?」「その力があるのか?」と思った。
今は亡き先輩に「コンドゥーなら黒帯とれるよ、頑張れよ」と言って応援してもらった、他にもたくさんの先生や先輩に教えてもらった、鍛えてもらった。すごい先生方に教わっているのに、勝てない自分が申し訳なくも思った。

茶帯で停滞してから、稽古へ行く回数は増えた。また自分でも本を読んだりして学んだ。
マチュアでここまで鍛錬するのも一般人としては珍しいと思った。
仕事終わりに稽古、休みの日に稽古、長期の休みにはさらに稽古。
週2、3回は稽古。そんな日々。

今回そんな日々にくぎりをつける。
これが最後の試合にする。
年齢的な問題等々があり、試合に出るのは最後と線を引いた。

敗けたら引退。勝っても引退。

最近は選手人口も減ってきて、2回勝てば優勝である。
その2回の試合にもてるものをすべてつぎこもう。

1回戦目は179cmの長身の選手。2回戦目はお互い長く茶帯で戦ってきたベテラン選手で、相手にとっては1試合目となる予定だ。

タップしたら全てが終わる。思い残すことはないように戦いたい。
打撃で妥協したくない。戦う気持ちをしっかり持ち続けたい。
体力の限界まで戦いたい。
だって、試合の終わり=選手としての終わりだから。

さあ最後の試合が始まる…

ケニア旅行記

遠いところに旅行に行くのもなかなチャンスがないと思い、えいっと海外旅行に行ってきました。
前回の台湾に続いて、二回目の海外です。
航空機のチケットは6月ごろに購入し、現地のサファリツアーは9月ごろに申し込みました。
最初に移動に関することと、費用をまとめておきます。

〇行きのフライトスケジュールと運賃

東京 Tokyo (HND) Tue, Oct 2, 2018 05:55
↓Airline: Peach Aviation
台湾・台北 Taipei (TPE) Tue, Oct 2, 2018 08:25
      Tue, Oct 2, 2018 10:45
↓Airline: Cebu Pacific
フィリピン・マニラManila (MNL) Tue, Oct 2, 2018 13:25
       Tue, Oct 2, 2018 16:45
↓Airline: Cebu Pacific
UAE・ドバイDubai (DXB) Tue, Oct 2, 2018 21:40
       Wed, Oct 3, 2018 02:20
↓Airline: Kenya Airways
ケニア・ナイロビNairobi (NBO) Wed, Oct 3, 2018 06:25

手配 Kiwi.com

合計 70,811円 移動にかかった時間31時間半(25時間半+時差6時間)

〇帰りのフライトスケジュールと運賃
全部エティハド航空
2018/10/08 14:10 ジョモ・ケニヤッタ国際空港発
2018/10/08  20:20 アブダビ空港着
2018/10/08  21:50 アブダビ空港発
2018/10/09  10:05 香港国際空港
2018/10/09  11:25 香港国際空港
2018/10/09  15:10 那覇空港

手配 H.I.S

合計10,7190円 移動にかかった時間19時間 (25時間ー時差6時間)

〇利用した現地ツアー(5泊6日 4泊分のホテル、食事、水を含む)
Kenya Safari Adventures
https://www.facebook.com/kenyasafariadventurers/
最高の経験ができました!希望すれば通訳付きもあります。

合計約100,000円

〇その他 お土産代、チップ、ツアー参加前後の食費・宿泊費
合計約30,000円

全部で30万円くらいの出費でした!
荷物はザック一つ(機内持ち込みのみ)で一眼レフや三脚を持っていきました。そのため着替えは1回分のみ。


ではここから行動記録や感想など。
10月2日
出発は10月2日でしたが、10月1日には台風の影響で欠航もあったのでひやひやでした。ここで出発できなかったら、30万近くがパーになります。
1日の夜には羽田空港に行き、出発まで6時間ほど待ちます。どっかで寝っ転がれるかなと思いましたが、意外と人が多く寝られるような場所はなかったです。
無事に羽田を出発し、台北へ。乗換までの20分くらいで朝食を食べます。

メニューがよくわからなかったのですが、漢字の様子と直感で注文。運よくおかゆみたいなものが出てきたので、良かったです。でも量がすごかった、ラーメンのドンブリにおかゆが入っている感じ。

ちらっと空港内の遊具をみました。台湾旅行の時にもみましたが、やはり遊具の下にはちゃんと柔らかいマット(タータンみたいなやつ)がしいてあります。

それぞれの航空便で機内食に関してはあるんだかないんだかわからなかったので、サンドイッチとかを持ち込んだら、機内食が出てきたなんてこともありました。もったいないので、全部食べました。事前にチェックできると安心なのですが、そこまでのリサーチ力はなかったです。思ったのは結構機内食出てくるんだなーって思った。

さあ続いてフィリピン・マニラへ。暑いかなって思ったけど、せいぜい日本の夏ぐらいでした。そんなに暑くなかった日なのかな?

空港に大統領の像がありました。

そしてセブンイレブンを発見した!




ドバイに到着。空港内が豪華!きれい!でした。前後の空港がマニラとナイロビなので、差が際立つw ロレックスの時計がかっこよかったです。王族?と思われる白い服の人達がたまにおります。写真撮ろうとしたらとめられました。
手荷物検査でなにかひっかかったらしく?白い紙で荷物や身体をペタペタされました。
あとで調べると火薬などについて調べる紙のようです。通過できるかなと、ドキドキしました。

変な寿司屋がありました。

10月3日
いよいよナイロビへ出発!と思ったら、搭乗が始まらない、機内に入っても40分くらい飛行機が全然飛ばない。アナウンスもわからない。現地ツアーと合流しないといけないので、時間の遅れがとてもハラハラ。

ナイロビ着は1時間ほど遅れたでしょうか。良かった、迎えの人がちゃんと待ってくれていました。空港では自動小銃をもった人が警備していました。軍の人かと思ったけど、あとで聞いたら警官らしいです。他にも街の銀行などに同じく自動小銃をもった方が警備していました。
日本との違いを感じます。


ツアーに合流すべく空港から移動します。道路はきれいに舗装されておりましたが、歩道は舗装されておらずでした。歩いている人はちらほらととぎれることなく見かけました。徒歩圏内がとても広いようで、こんなところに人がというところでもけっこう人が歩いています。
また外に出ている人が多いように思いました。土の色も日本とは違うなーと思った。

スラム街なども車から見かけます。格差もそれなりにありそうです。




途中でツアーの皆さんと合流しました。ガイドのスタンリーさん、参加者のアメリカ人のブロドリック(消防士)、ビクトリア、ザック(写真関係)、ニュージーランド人のカイ(美容関係)、クリスティーン(校長先生)、ケニア人のドルフィン(環境保護関係)などにメンバーに合いました。()内は後で聞いた職業です。
みなさんフレンドリーで英語が少ししか話せない僕にも、何かと声をかけてくれたり、誘ってくれたりしました。もっと英語が話せていたらもっと楽しかっただろうなって思います。ただ逆に英語力が低かったおかげで、みんなの親切さを感じられたところもあると思います。聞き取りが難しいことを、易しい英語に置き換えてゆっくり話してくれたりしました。
ハイスピードで展開される日常会話についていくのは難しかったですが、せっかく出会った仲間なので、一生懸命聞き話すことを心がけました。
日本語をほとんど話すことのなかった一週間はとても貴重な経験でした。

最初の目的地マサイマラ公園には6時間ほどの移動が必要でした。最初は舗装がありましたが、後半は凸凹道が続きました。長い移動に腰痛にならないかと心配していましたが、車の揺れが大きすぎて、かえって腰がほぐされましたw
ちなみに街を走る車の95%ぐらいは日本車です。日本車への信頼感を感じました。日本人であることに誇りを感じ、また日本人の評判を落とさないように行動しようと思いました。
途中の休憩場所で焼きトウモロコシを買ってみましたが、(´Д`)な味でした。普段世界一のトウモロコシを食べているので、ギャップがすごかったなー。
そしていきなりお土産に10$ぐらいのポスターを購入。

また休憩所からはアフリカ大地溝帯(African Rift Valley)の様子を見ることができました。地理に出てくるような地形を見れたことも収穫でした。伊那谷に様子が似ていました。
車窓から見える景色がどれも珍しく夢中でシャッターを切りました。
え、あんなところに牛が!川は泥水っぽいな!建物の形違うな!小学校かな!?と。道には沢山の人が歩いたり、座ったりして、人が途切れないです。














ちなみに、道を走っている時の追い越しっぷりが半端なくてビビりました。







さあ宿泊施設に到着です。マサイマラ公園の園外にあります。テントとコンクリートの壁のあるシャワーとトイレがある宿泊施設です。










部屋に荷物を置いて、早速夕方のサファリーツアーにでかけます。





初日は2時間ほどのツアーだったと思いますが、サファリに来たんだなーって感じました。
夕食前にシャワー。お湯が出るのにしばらくかかり、サビっぽい臭いがしました。一番に使わない方がいいかもって思ったwシャワーと同時にボディソープで服を洗い、しぼって干します。
夕飯はビュッフェ形式でした。チキンが美味しかったです。ライスやパンは(´Д`)な味だったかなー。やはり日本の米はうまいなー。料理に関して、あまりおいしいものはなかったですが、キャベツやニンジンがとても美味しく、苦み一切なしの甘い甘い野菜でした。これなら嫌いになる人いないねってくらいだった。標高が高いからでしょうか。

10月4日
一日サファリツアーでした。
ライオン、ひょう、チーター、ぞう、サイ、バッファロー、ヌー、キリン、シマウマ、ワニ、カバ…
たくさんの生き物を見ることができました。
一番感じたことはこういった生き物が暮らすためには広大な大地が必要だということだ。
動物が沢山いたが、それを支えるために膨大な草を提供する大地が必要なのだ。
ガイドさんが無線を駆使し、できる限りのサービスをしてくれたと感じた。
ヌーの川渡りを見れたことはとても恵まれたことだとあとで知った。
安全そうなところで車を降りて写真撮影をしたり、ピクニックランチを食べたことも良い思い出だ。
様々な動物や場面を見れたことでチーム内の雰囲気はとても良い。














































夜はビール(TUSKER)を飲んだ。それ以外に、サファリの樹木の実から作ったお酒(キリンも好きな実だとか。名前は失念。)も飲んだ。翌日の頭痛はこれが原因だろうか…w

マサイ族の人が宿泊施設内で火を焚いている。
話しかけると、どんなに遠くても歩いていくことや、生活の中で地球を感じていること、そして生への満足感や充実感が感じられた気がする。

夜は宿泊地で星空の写真を撮った。赤道直下の星空は普段と少し違う。


アフリカの星空を撮れたことがうれしい。写真撮影のためうろうろしていると「テントに入れ、危ない」と言われた。夜は危険な動物が侵入してくることもあるようだ。遠くで犬が吠えている、やはり危険な動物がいるようだ。
夜は夜で緊張感がある。
今夜はルームメイトがいた。韓国人の方だった。スケジュールが違うのでこの日は挨拶をしたぐらいで接点はなかったが後日色々をお話する機会があった。

10月5日
午前中はマサイ族の方の集落を訪問。写真撮影OKな場所だ。他の場面でマサイ族の方々の写真を撮るのはNGのようだ。



電気もガスも水道もない、昔ながらの生活を行っている。
とは言えその生活を観光客に公開し、外貨を得て薬や食料を購入するようなことを言っていた。

マイ切り式の火おこしを見せてもらい、体験した。手だけでつけることは困難に思えたが、ケニアが乾燥していることもあって3分ほどで着火した。はやい!

古タイヤを使ったサンダルを見せてもらった。とっても丈夫なようだ。

家の中にも入れてもらった。土をこねて作った家だ。窓がとても小さい採光や煙を抜くために窓が必要だが、蚊や砂の侵入を防止するため小さくしてあるようだ。




大人になるための通過儀礼も聞いた。
16、18、19歳の時にライオンを戦う。15人対1頭で戦うようだ。
当然ものすごく危険だそうだ。そして20歳から3年間村をでてサファリで暮らす。
それを乗り越えると成人として牧畜などを担当するようだ。
これは大変だ!
(なおつたない英語でのやりとりなので、違うこともあるかも)

子供達は幸せそうに遊んでいる。小学生ぐらいの子供は学校に行くようだ(女子はいけない?女子に関しては人権に関する問題を抱えているいようだ。)。
一緒に写真を撮ってもらったり、歌を聞かせてもらったりした。


写真を撮るときに体が近づくが、臭いにおいはまったくない。土の匂いがするだけ。
乾燥ってすごいなと思う。匂わない。自分の体も汗をかかない(かいてても服が濡れない?)ので、臭くならないのを感じた。また半乾きの服も1時間も着ていると乾いてしまうので、服が2セットしかなくても困らなかった。

ここでマサイマラとは離れる。そして今までの仲間ともさよなら。
最高のガイド、最高のメンバーだったと思う!

さびしく感じた。新しいツアーのメンバーと合流するが、前のメンバーのことをちょっと引きずってしまった。
4000円くらいで絵を買う。旅の勢いってすごいわw
ナイバシャ湖をボートで回った。カバがいた。そして危険な湖で釣りをする人達も沢山。



すごいなぁ。湖畔には人工的な建物もあるものの、桟橋から離れて湖の奥に行くと湖の周りでシマウマやキリンが草を食べている。自然が近い!





新しいメンバーはイギリス人と中国人のカップル、カナダ人2、エストニア人2だ。
こちらは結成2,3日目のグループなので、アウェイ感がひときわあった。一人参加がだれもいないしね。
それでも声をかけてくれたり、気にかけたり、会話をふってくれる人がいたので有難かった。
この日からは別の宿舎になり、ホテルと言っていいような場所だ。シャワーとトイレが一体化していること以外はとても過ごしやすい。僕の場合シャワーしながら洗濯をするので、トイレと一緒だと余計に抵抗があった。

夕食後はバーに行くことを誘われた。

音楽がガンガン流れている中で、酔っ払いの会話をヒアリングすることは激むずだったが、楽しむことができた。それぞれの国の休暇事情なんかも聴いた。中国は1週間ほどの休みだったようだが、カナダは2週間(4週間だったか?)とかなり長期間お休みをとれるようでうらやましい感じだった。

10月6日





今日はナクル湖の周りでゲームツアー。

乾燥している時は火事の危険があるようだ。





フラミンゴで有名な湖のよう、遠くにフラミンゴの群れが見えたw
最後は滝のようなところに到達した。


公園の出口のところで草刈りをしている人がいた。声をかけて草の刈り方を教えてもらった。













ツアーの皆さんと離れて、一人ホテルへ。久々に飲んだコーラがたまらなく美味しい。
きれいで素敵なホテルだった。シャワーとトイレが一緒なこと以外は問題ないw


午後はナイバシャの街を1人で散策。ツアー外の行動だが、アフリカに住んでいる人達の様子や生活が知りたかったのでちょうどよい機会だった。多分地方の大きな町という規模だと思う。街中には多くの店があった。コンクリート作りの店もあれば、屋台の店もある。
店の前には店番の人達や子供達がいて、通りすがると声をかけてくれる。視線があうと「Hello!」「ジャンボ!」と声をかけあう。僕も積極的に挨拶をしていった。「チャイニーズ?」と聞かれることもあったので、「ノー、ジャパニーズ」と訂正が必要だった。
小学生くらいの子でも英語を話せる。学校で習うようだ。小学生ぐらいと僕の英語力は丁度よいようで、簡単な英語でやり取りができた。写真撮影にも応じてくれた。
子供達にとっても貴重な経験だったと思う。てか通りがかりのフレンドリーな片言の外国人とか、子供達にとってはよいオモチャだったであろう。




























ちなみにケニアには、好かれてはいなさそうだけど中国企業(建設会社)などが多数進出しているようだ。テレビなども中国製が多かった。スマホは韓国製が多い。車は圧倒的に日本車。日本車以外はないと言ってよいくらい。
日本ももっと様々な分野でアフリカに出ていくべきだなーって思った。経済的進出度にともない政治的な影響力もでてくる。国連とかのアフリカ票も大事だ。
そんなことを考えつつ、目の前の出会いも大事にした。
子供達は店の前や舗装のない路地で遊んでいる。路地裏には舗装された道路もおもちゃもないが、みんな幸せそうというか、子供達がしっかりと子供をしていることが感じられて良かった。
通りすがりの観光客の目線でしかないが、とても良い人々のいる土地だと思った。そして日本人の印象はよさそうだった。
中高生くらいの子たちに声をかけられたバラック小屋の中で何かやっているようだった。中に誘われた。大丈夫かな?と思ったけど、思い切って中に入ってみると、ボードゲームを行う場所だった。一番強い子と急遽対戦することになったw ルールを教えてもらう。勝負がはやくつくチェスみたいなゲームだった。サラッと勝てたらかっこよかったけど、ぼろ負けだったw

教会があったり、広場では(たぶん)キリスト教のイベントがあったりしていた。
ファンタオレンジを飲んだ。とても美味しい。
ショッピングセンターに入ってみる。入店するためにはセキュリティチェックを受ける必要があった。ここで現地の人(の中でお金がある方の人達だと思うが)が買うような紅茶やお菓子をお土産として買った。二階は冷蔵庫やテレビなどの家電も売っていた。価格は日本とそう変わらない感じがした。これを買える人は多くないと思った。
買い物袋はビニールではなく、有料の紙か布っぽい素材の袋だった。しかも20円くらいする。ゴミが街中にとても多いので、土に還る素材にしているのであろう。



ホテルまでの帰りはバイクタクシーを利用してみた。2kmぐらいで100円ぐらいだった。これは便利だー。
ホテル近くの高台から見るナイバシャの街とナイバシャ湖がとてもグッドでした。




10月7日
ナイバシャ国立公園に行きました。自転車でシマウマがいるような土地を駆け抜けます。これは気持ちいい。
道には岩石が露出しており、黒曜石などもゴロゴロしていた。アフリカの大地ってこんな感じなのかなーって思った。途中地熱発電の施設が遠くに見えた。




また公園の奥に幻想的な風景があった。アフリカの大地は固いようで、雨季に川が流れることで綺麗に掘れている。縞々模様が美しい。







こうした美しい壁に落書きがある。残念な出来事だ。英語圏の人間は落書きする習性があるんだろうか。

途中の岩壁で行っていたクライミングもやらせてもらった。アフリカでもクライミングをやる人がいるのだなーって思った。岩が固そうなので、クライミング向きの場所がけっこうありそう。



公園を案内したガイドの人にチップを渡し損ねた。別れ際そっけない顔をしていたが、別のドライバーさんから聞いて理由がわかった。
チップについては難しい。日本人で戸惑う人も多いのではないだろうか。
ドライバーさんからチップに関することを教えてもらった。「あなたが何かサービスを受けたら、そのたびにそのサービスに対するチップを払う」のが基本なようだ。
どこまでがツアー料金に含まれているのか良くわからないが、それとは別に全てのサービスに発生するようだ。特に僕の場合は英語があまり話せなかったり、写真撮影の希望が多かったので、多めに払うべきだったようだ。
チップの存在には様々な議論があるようだ。僕はチップには否定的だが、それは日本だからなのではないかと今は思う。日本は代金に対して、ベストの仕事を行う。それは島国なので評判が大事、リピーター獲得が大事だからというインセンティブがあるからだと思う。
人の出入りが激しい土地の仕事なんかはリピーターは期待できないから、その場のやりとりが全てなので、出来高に応じた支払が適しているのかもしれない。

ドライバーの人に、ガイドの人へ渡してもらいたいチップを託した。届いているといいが。

ナイロビまでの道のりはマサイマラで相部屋となった韓国人と一緒になった。
日本の車などが好きなようで、特に好きなスカイラインの話をしてくれたりした。

歳も同じぐらいで、素敵な青年(中年?)だった。

ナイロビのホテルは6000円くらいだったと思うが、とても良かった。
(どうやら輸入するようなものは日本と物価が同じぐらいで、現地で作っているものやサービスなどは日本に比べて低コストで良い待遇を受けられるようだ。)




ようやくトイレとシャワーが別になった。(*'ω'*)
ホテルに入るにはセキュリティチェックが必要で、入ってくる車も爆弾の検査をしていた。


街歩きはガイドブック的には危険となっており、公園などはもってのほかといった記述だったが、公園も含めて散策してみた。浮浪少年にお金をくれないかと声をかけられた以外は特に変わったことはなかった。越境強盗団などもいるようなので、運や時間帯にもよるのだろう。夜の外出はやめておいた。



写真は撮れなかったのだが日曜の夕方の街はかなりの混雑だった。地方からでてきている人もいるのだろう。地方行きのバスが発着しており、すさまじい喧騒と排ガスだった。
落ちているゴミも渋谷のハロウィンレベルだ。

朝も少し散歩した。大人の乞食だけではなく道路やちょっとした草地で寝ている少年がいたのが印象的だ。

日本ならすぐ保護されるだろうな。ナイバシャの街とナイロビの街が違いすぎたが、どちらもケニアの今なんだろう。20年後、30年後、ケニアはどんな国になっているだろうか。あのキラキラした子供達はまだいるのだろうか。マサイ族の人達の生活はどうなっているだろうか。

午前中はナイロビが一望できる場所によった。ケニアの中では先進的なビルディングが広がる。視線をちょっと下に向けると公園で乞食が多数横たわっている。




その後、キリン保護センターに行ってきた。キリンに餌をあげることができます。


自分の口に餌を加えていると、キリンとキスすることができますw
















センター内には環境保護に関する掲示物があった。ゴミや排ガスについて危機感を感じている子供がいることに希望が見えた。美しいサファリや人々を残したまま、街を整備し、美しいケニアになっていってほしい。

午後の便でナイロビを出発します。とてもお世話になったメインのガイドであるスタンリーさんにもお別れをつげ、出発です。


ありがとう、ありがとう、ケニア
一生忘れない思い出ができました。

動画はこちら。

台湾旅行

台湾旅行(9月21〜26日)
スマホ不使用の自分ルール。親切な体験盛り沢山!深く感じる日本との絆。電車、飛行機のハプニングであたふた。他道場に空手出稽古。突然の廟で歌の独唱することに。沢山あった!

1日目
おやつ時ぐらいに台湾到着、暑いですね!30度ぐらい。漢字だらけの看板と中国語に海外を感じます。ファミマは全家っていうのね。最初の3日間は姉と一緒。モノレールの中で日本語を話すと周囲がピクッ!視線がチラってなります。ああ、今自分は外国人なんだなぁ。と初外国人体験。




最初に食べたのは巨大マンゴーかき氷。マンゴーの量や美味しさ、それを引き出す牛乳風のかき氷と練乳。そして150元(500円くらい)と安い☆甘党でかき氷好きの僕は、この魅力に引き込まれ滞在中に4回食べました。お店の壁は落書き沢山。初日は台北で活動。
ああ、書いているとまた食べたくなる。もうマンゴー中毒です。






龍山寺。丁度お祈りの時間で雰囲気がありました。みんなしっかり唱えているなぁ。そしてなんかノリのいいお経だ。屋根の装飾も見事です。







國父紀念館。孫文さんの場所のようです。孫文さんと思われる像とパチリ。太極拳らしき練習をしている人たちに中国文化を感じました。そして広場は憩いの場となっています。あー、タコあげしているなぁと思って空を見上げたら、揚げている高度が半端なくて驚いたw
台湾の旗が風にそよいでいます。台湾マックも初体験。味は…一緒w 中国で弾圧されている法輪功が活動・広報・Chinaへの抗議をやっているところを旅行中何回か見かけた。












大型本屋に行ってみました。ビデオコーナー。日本の映画もけっこうおいてあります。進撃的巨人とか。政治棚も気になるところでした。毛沢東からダライラマまでバランスよくおいてあるような気がしました。張学良の本が何気に多かった。張作霖の息子っているイメージしかないけど、大事な役割を担ったのかな。今度調べてみよう。
日本文学、日本語コーナーもしっかりとってあります。漫画コーナーは半分以上は日本のマンガ。日本ってすごいと思った。こんなものまで海外に行ってるんだ〜ってのもけっこうあった。ナルトあるのもうれしかった。政治・歴史コーナー。「台湾では教えない中国現代史」みたいな刺激的なタイトルもあったかな。孫文さんや蒋介石さん、習近平さんとか、毛沢東さんの本も多かった。
座って本を読んでいる人が多く、地べたに座って読んでいた人もいるのは日本との違いを感じた。








101にのぼって、おいしい小籠包を台湾ビールと共にいただきました。
コンビニ寄ったらガリガリ君が売っていた、うれしい☆
暑いんでアイスとシャワー、涼しいホテルの部屋が嬉しい。

2日目
台湾の新聞に目をとおしてみる。

駅にも人が座り込んでいる。



台北から自走式の平渓線に乗って山奥へ。昔は炭鉱で栄えたエリアだが、現在は古びている。











その古さがいい。願い事が書かれた竹筒。それでも観光で頑張っている駅もあった。十分という駅は面白く線路沿いがお店になっているだけではなく、電車が通らない時には線路も使って商売をしている。地域の祭りで行っている願い事を書いた紙風船飛ばす事を観光客向けにもやっていたのでやってみた。願い事は写真の通りw























猴○駅という駅には猫が沢山いた。
















頑張って観光地として整備している感じがしたが、炭鉱が廃坑になりさびしげな雰囲気はありますね。空襲避難図があるのが印象的だ。







九分はまさに観光地という感じ。ハイスピードな(笑)タクシーでビューンとたどり着きました。



















狭い坂道にお店が並んでいます。京都の新京極の坂道が多いバージョンでしょうか。千と千尋の神隠し湯屋に似た建物や路地、お店などがあります。

台北への帰り道でアクシデント発生。特急に乗っている時の車内の改札で、車掌から反対の電車に乗っていると言われた。


丁度その場に居合わせた日本人ツアーの添乗員(台湾の人)が乗換の駅や戻るための電車の発着時間まで調べて教えてくれた。とても驚いた。うれしかったなぁ。添乗員のみなさんと握手して、電車を乗りかえた。手を振って電車を見送った。ふとホームをみると駅員が読書をしている。文化の違いを感じるわぁ。


夕食はホテル近くの一般向けの食事処。相性が良かったのか美味しかった。ピータンも美味しかったな。台湾ビールはかかせません。

3日目
午前中は台北駅近郊を見学。よくわからない人の像もあったし、鄭成功さんとかぎりぎりしっている人もいた。






献血のバスもあった。二二八和平公園という名前は台湾のタブーを隠さないような感じでいさぎよい感じがした。「犬(日本軍)去りて、豚(国民党軍)が来たる」ってやつだ。公園を見ると遊具の下にタータンがしいてある。こういう配慮は日本の公園にもっとあってもいいと思う。これなら落下時のダメージが軽減されそうだ。







総督府のあと、中正紀念堂を見学した。元からの台湾人にとっては嫌な施設だと思っている人もいるだろう。ここでも太極拳を練習している。
途中で見かけた学校のグランドはやっぱりタータン。ちゃんと国旗も掲げてある。砂や土のグランドは旅行中とうとう見かけなかったな。白色恐怖政治受難者紀念碑も見学してきた。一見日本統治前のオランダやスペインなどの白人の弾圧についてのことかと思ったが、第二次世界大戦後国民党軍が台湾に乗り込んできて恐怖政治を行った40年ぐらい弾圧され殺された台湾人を慰霊してあるようだ。こういった国の体制を変えた李登輝総統の存在は大きい。そしてその李登輝総統は大の日本びいきであることも忘れてはならない。歴史のパズルは一つずつ解けていく。

台湾のスタバで休憩。Taiwanって書いてもらいました☆









郵便局の建物は古めかしくてカッコいい。3階部分までは日本統治時代に建造されたものだ。北門(承恩門)は清が治めていたころに作られた5つ城門のうち、実在する最後の1門だ。こちらも歴史を感じる。北門駅に乗る際に目にした分厚いシェルター、厚さ30cmはあろうかという分厚い鉄の扉だ。有事の際はここを締めて非難するのであろうか。


そして海鮮料理だ。エビだ、ビール(昼間からw)だ!

ここで姉は帰国。ここからは一人旅だ。そして旅はさらにマニアックに、というか社会科見学?なっていく。

まずは台灣高鐵THSRにのって台中へ。途中のナルトの垂れ幕にテンションがちょっと上がる。快適快速の旅で台中へ。

まずは台湾民俗文物館に行ってきました。台中までくると日本語はおろか、英語を話せる人もほとんどおらず、あげく漢字を書けなかったりする運ちゃんもいたのでタクシーで行先を伝えるのも一苦労だった。ここは時間があまったので適当に選んだ行先なのだが、ここで運命の出会いが待っているとは。閉館間際のこの施設は現在メンテナンス中のようで閑散していた。こういう室内で暮らしていたんだなぁぐらいなものだ。ここから、今夜行く空手道場までの道のりを受付の青年に英語で聞いた。タクシーで行くことは容易なのだが、時間もあるし、不便な状態の方が台湾との人とも交流ができるし、どんな人間性を持っているのかがわかるだろうと思いタクシー以外の方法で行くことにした。スマホを使わないのも同様の理由だ。調べれば楽だが、その分台湾の人との接点を失ってしまうので旅行中は封印。また旅の大事なことは観光地をスムーズに回ることより、ストーリーがうまれることが大事だと思っている。
受付の青年は通りがかりの女性と一緒に空手道場近くのバス停までの行き方を調べてくれた。途中水を飲みながら待つようにとコップをだしてくれた。調べて結果を地図で教えてくれようとしたがバス停やバスの路線は複雑だ。「もう仕事が終わるからバス停まで一緒にいってあげる」的なことを言って、一緒に歩いてくれた。感激した。





バス停に着くと、路線番号や降車バス停を教えてくれた。教えたら帰るんだろうなと思っていたら、一緒に座ってバスを待ってくれた!お互いの出身地のことや趣味のこと仕事のことなどを話した。壁がなくなっていくように感じた。そして話は結婚や恋愛の話に。僕が未婚であり、そして彼にはとてもかわいい彼女がいることが発覚。ちょっと溝がうまれたw まあこんなに素晴らしい青年なので、そこは祝福するしかなかったww





 渋滞でバスが遅れて50分ほどしてバスがやってきた。乗車までずっと一緒にいてくれた彼に大感謝である。名前に一部に2人とも「佑」の字があった。これも何かの縁なのだろうか。

バスは町中を走っていく。目的地で下りようとして、お金を払おうとしたら、お金はいらないのサイン。このバスは基本ICカードで乗降するようになっている。バスに乗るときに青年が運転手と話していたことを思い出した。きっと「こいつは旅行者でICカードを持っていない(しかも彼女のいないかわいそうな)やつだからタダで乗せてやってくれといってくれたのかもしれない。ちなみに台湾は空気が悪い。排ガスとChinaからのPM2.5の影響らしい。のどが痛くなって、咳がコホコホでた。台北よりも台中、台南はもっと悪い印象がある。スクーターの台数も多い。特に台中は地下鉄などがないせいかスクーターが多い。走行車両のうち3割くらいはスクーターではないだろうか。
 無事空手道場にたどり着いた。ここは僕が通っている空手道場の台湾支部なのである。少年部の稽古をチラっと見学して、さあ稽古開始。その日(金曜)は週の中で一番ゆるーい稽古をする日だと言っていたが、旅行モードの体には結構ハードでしたw 2,3日筋肉痛だった。 土曜は4時間スパーをすると言っていた。




一日ずれて訪問していたら大変なことになっていただろうw
稽古終わりに先生が焼肉に連れていってくれました。乗りたいなーと思っていたスクーターにのっけてもらうことができました。台湾行くとスクーターが沢山走っているので乗りたくなりますよ!うまい焼肉が疲れた体にしみこみました。その晩は道場で寝かせていただきました。親切にしてもらって感謝感謝です。

4日目
5時半ぐらいには起床して出立します。今日ほど多くのところを回る日もないので、早朝から動き出します。

まずは台中駅へ行き、THSRで嘉義駅へ。映画「KANO」で話題になった地を訪ねます。「KANO」は日本統治時代に台湾人(漢人)、日本人、台湾原住民で構成される嘉義農業高校の子たちが甲子園で準優勝するっているノンフィクション映画です。嘉義公園・球場までは順調にたどりつきました。公園のいたるところで太極拳や社交ダンス、その他ダンス、バトミントンなどが行われています。遊具の下にはやはりタータン。公園の賑わい度は日本とは比較になりません、僕はこれぐらいにぎやかな公園の方が好きだなぁ。しかし子供達の姿が見当たりません。昨日の空手の先生が言っていたことが気になります。「台湾の子はフィリピンやタイ、日本の子たちと比べて体ができていない、勉強ばかりで遊ばないからだ。だからゆっくりとトレーニングをしている」というようなことを話されたのを思い出した。











嘉義神社跡も見学することができました。さあ次は嘉義農業高校の後継である嘉義大学に行きたいが行き方がわからないのと、嘉義大学にもいくつかキャンパスがあるようで、どれが嘉義農業高校を継ぐものなのかわからない。行き方と行く場所がわからない。
チャンスがあれば高齢者に話かけてみるというのも旅の課題の一つでした。日本語を話せるかもしれないからです。ちょうど公園にいたおじいちゃんに話しかけましたが、チャイニーズということで日本語は話せないようでした。でもその介護の方が英語を話せて、物知りそうなおばあちゃんをつかまえてくれました。なんとなく行きたい場所をわかってくれたようです。そのおばちゃんに連れられ、公園内で日本語ができる「先生」と呼ばれる方を紹介してくれました。日本語で話して目的地を確定することができました。目指すは嘉義大学農学部とはっきりしました。おばちゃんは再び歩き出し、タクシーを拾えるところまで連れていってくれて、電話でタクシーを呼び、タクシーの運ちゃんに目的地をつげてくれました。感謝感謝です。みんなで相談して助けようとする親切さと、コミュニティ力を感じました。






無事嘉義大学に着きました。大学では受験生向けの大学紹介をやっているような感じでした。楽しそうでなにより。駅へもどるためのバスがすぐに出発だったため「KANO」にまつわるモニュメントと大急ぎで写真撮影ですw 「天下の嘉農」。かっこいいですね。いい映画なので見てない人はおすすめです。

嘉義から台南まで移動して、日本の兵隊さんが祀られている場所までいきます。
飛虎将軍廟では零戦パイロットだった杉浦茂峰さんがご神体となっている。空中戦で被弾しながら、市街地を避けて墜落したことから地元では「守り神」と慕われている。









http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201609/CK2016092002000148.html
ちょうど茨城県水戸に里帰りしているようです。日本の航空会社は貨物で運ぼうとしたようですが、中華航空は一席用意してくれるという粋な配慮があったようです。水戸の実家や近隣の小学校などを訪問したようです。
ご神体が不在なのは残念でしたが、逆に里帰りの件を知ることができて胸があつくなりました。廟を参拝したときに「海ゆかば」を流してほしいと管理されている方にお願いしたら、「流すから、お前も歌え」的なことを言われて、急遽独唱することに(汗)。が戦死された兵隊さんの前だし恥ずかしがるのもと思い、がっつり歌いました。準国歌と言われる「海ゆかば」を歌詞をみずにちゃんと歌える30代もなかなかいないだろうな♪
訪問帳をみると平均一日一人ぐらい日本人が訪れているようです。台湾人も訪れており、僕が行ったときも若い女性が2人きていました。

まだまだ一日は終わりません。次は鳥頭山水庫(八田ダム)に向かいます。台湾で一番見たかった場所です。
























統治時代に日本人技師八田与一さんと奥様、日本人、台湾人が一体となって取り組んだ大工事。この当時東洋一の規模のダムが不毛の地だった嘉南を一大穀倉地帯に変えたようです。銅像や八田夫婦のお墓はしっかり手入れされています。作業中の住居も立て直し、さらにリペアしながら観光客に展示してあります。















キャンプの利用客や観光客(台湾人?)が多く、この地が大事にされている感じがありました。資料館ではダムができるまでの解説がしてありました。「俺、日本人です!」って名乗り出たいぐらいの雰囲気だったな。ダムと駅の間には畑が広がっています。運転手さんに何を作っているか(日本語も英語も通じないので、漢字を書いて聞く)聞くと「米」「菱角」とのこと。

今日の目的をはたし、駅の旅客服務(ガイドセンター)で明日の行動を相談してホテルへ。なんか達成感があるわ。予約なしだけど泊まれてよかった。










自転車を借りて、台南の街へ。台湾最古の孔子廟。やっぱり美味しいマンゴーかき氷。ノスタルジックな老街など旅行本に載っている場所を回り、その後は適当に町を走ります。祭りをやっているところも偶然出くわしてにぎやかで驚いた。

5日目
早朝から高雄に移動。高雄忠烈祠に行ってきました。昔高雄神社のあった場所が今は台湾のために命をささげた戦士たちの祠となっています。祈りをささげてきました。日本の鳥居や「大東亜戦争完遂祈願」と書かれた石塔がたっています。こういうのが残っているあたり、台湾と日本の関係性が感じられます。




そして高雄空港にいって、金門島へ。ここは台湾本島から280kmぐらい離れた離島で、逆にChinaからは2kmぐらいしか離れていない場所にあります。







台湾の山脈が見事に見えました。第二次世界大戦後日本が降伏・撤退したあと、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が行われたわけですが、その激戦地の一つが金門島です。台湾に追い詰められる国民党が金門島の戦いで共産党軍をくいとめることができたから、今の台湾があるわけです。この金門島の戦いには第二次大戦後内モンゴルからの日本人引き上げ者を守りながら日本まで見事撤退した根本博中将も蒋介石への恩返しのため、この金門島の戦いに参戦しています。日本軍と国民党軍は支那事変では敵だったわけですが、その国民党に協力する日本軍人がいるわけですから、当時の複雑性を感じます。歴史は複雑ですね。丁寧に読み解かなければいけません。

で、そんな金門島についたのが昼の12時ごろ、帰りは台北に帰るので帰りのチケットをとってから観光へって思ったんだけど、なんと!!夕方の便は全部満席(´Д`)台北どころか台中、台南、高雄、どこの便もありません。今日中に帰らないと、明日朝日本に戻る便に乗れない!唯一空いているのは12:50発の便。。。しかたないのでこれで帰ることに…。チケット購入や搭乗手続きがあるため、間の時間が10分くらいしかなかった。これではどこにも行けません…*1 とりあえず金門空港の看板と写真撮影。そして金門っぽいお土産ということで、キーホルダーとビーフジャーキーを購入!チャイナからの船で来ることもできるようで、中台の交流も盛んなようです。空港の待合席には金門島関係の書籍が沢山。小さい島なのに空港もあるし、実効支配してるって感じです。帰りのフライトはチャイナとの距離を測るため大陸側を見れるような席をお願いしたけど、うまく伝わらかったようだ。。。ちなみにビーフジャーキーは成田空港の検疫で回収されましたw いやー外国でローカル飛行機にネット予約なしに載ろうなんて難しかったわ。

14時頃には台北に帰ってきてしまいました…。台北駅のトイレには使用状況をしめすランプがあるのに驚いた。

ここからはブラブラと街をあるきます。捨己救人の像。どんなことが書いてあるのだろう。










神農市場というところに行くと人でがめちゃめちゃあった。今までぜんぜん見かけなかった子供達の姿も沢山あった。スタジアム跡を活用して、人が集まるスペースがうまれているようだ。子供が木登りしたり、物産展があったり、ダンスや大道芸的なものがあったり、高校生らしき集団が踊りの練習をしたりと老若男女がそろう良い場所だなって思った☆臭豆腐。ゲロの匂いがするw食べるとゲロとモツの間の味がする…。一緒に食べる調味料が大事かな。
そこから士林の夜市へ。ここは一人でいってもいづらい感じですが、とりあえず夜店を見物。












ゲームができる夜店がけっこうある。しかも射的・ボール投げ系や手で引くパチンコ、瓶を紐と輪っかで立てるみたいなゲームが多く、くじ引きは一切なかった。実力があれば商品をゲットできるものばかりだ。子供が夢中になってた。
旅のしめに再びマンゴーかき氷を食べたw

6日目
朝食は町中の一般的なお店で食べた。そして空港までいってびゅーん…と思いきや、最後の再びハプニングが。向かう空港を間違えていたのに途中で気が付いた。やっばい!来た空港は松山空港だったが、帰りは桃園空港だった。(=゚ω゚)ノ 時間がさしせまっている。行き方がわからない。ついにスマホを使わないといけないのか!てかそもそも間に合うのか!途中のモノレール駅で駅員に行き方を聞いてみた、バスがあるみたい、英語の説明を聞いて駅の外にでてみる。気が付いた駅が運よく空港行きのバスがでる駅だったみたいだ。しかしバスがかかる時間では間に合いそうもない。そこに丁度よく来たタクシーに飛び乗って空港へ。8時頃に空港着!発券手続き、荷物検査、出国手続きを終えゲートに行くとすでに搭乗が始まっていた。うわーぎりぎりだった!8時50分発 日本へ

*1:+_+

夜桜

昨日は御所の桜が満開でしたので、撮影に行きました。小牧からも写真撮影に来た方がいらっしゃいました。辺りがひらけており、また山々もシルエットもあり、写真を撮るのが楽しいです。
ライトアップの時は桜しか映りませんが、ライトが消えてから月明りに照らされる桜もなかなかのものでした。
そして月のない状況でも撮影したかったので、一度家に帰って寝て、朝の3時半に再度撮影を試みました。月が沈み、朝日が昇るまでのわずかな時間に撮影をしました。