台湾旅行

台湾旅行(9月21〜26日)
スマホ不使用の自分ルール。親切な体験盛り沢山!深く感じる日本との絆。電車、飛行機のハプニングであたふた。他道場に空手出稽古。突然の廟で歌の独唱することに。沢山あった!

1日目
おやつ時ぐらいに台湾到着、暑いですね!30度ぐらい。漢字だらけの看板と中国語に海外を感じます。ファミマは全家っていうのね。最初の3日間は姉と一緒。モノレールの中で日本語を話すと周囲がピクッ!視線がチラってなります。ああ、今自分は外国人なんだなぁ。と初外国人体験。




最初に食べたのは巨大マンゴーかき氷。マンゴーの量や美味しさ、それを引き出す牛乳風のかき氷と練乳。そして150元(500円くらい)と安い☆甘党でかき氷好きの僕は、この魅力に引き込まれ滞在中に4回食べました。お店の壁は落書き沢山。初日は台北で活動。
ああ、書いているとまた食べたくなる。もうマンゴー中毒です。






龍山寺。丁度お祈りの時間で雰囲気がありました。みんなしっかり唱えているなぁ。そしてなんかノリのいいお経だ。屋根の装飾も見事です。







國父紀念館。孫文さんの場所のようです。孫文さんと思われる像とパチリ。太極拳らしき練習をしている人たちに中国文化を感じました。そして広場は憩いの場となっています。あー、タコあげしているなぁと思って空を見上げたら、揚げている高度が半端なくて驚いたw
台湾の旗が風にそよいでいます。台湾マックも初体験。味は…一緒w 中国で弾圧されている法輪功が活動・広報・Chinaへの抗議をやっているところを旅行中何回か見かけた。












大型本屋に行ってみました。ビデオコーナー。日本の映画もけっこうおいてあります。進撃的巨人とか。政治棚も気になるところでした。毛沢東からダライラマまでバランスよくおいてあるような気がしました。張学良の本が何気に多かった。張作霖の息子っているイメージしかないけど、大事な役割を担ったのかな。今度調べてみよう。
日本文学、日本語コーナーもしっかりとってあります。漫画コーナーは半分以上は日本のマンガ。日本ってすごいと思った。こんなものまで海外に行ってるんだ〜ってのもけっこうあった。ナルトあるのもうれしかった。政治・歴史コーナー。「台湾では教えない中国現代史」みたいな刺激的なタイトルもあったかな。孫文さんや蒋介石さん、習近平さんとか、毛沢東さんの本も多かった。
座って本を読んでいる人が多く、地べたに座って読んでいた人もいるのは日本との違いを感じた。








101にのぼって、おいしい小籠包を台湾ビールと共にいただきました。
コンビニ寄ったらガリガリ君が売っていた、うれしい☆
暑いんでアイスとシャワー、涼しいホテルの部屋が嬉しい。

2日目
台湾の新聞に目をとおしてみる。

駅にも人が座り込んでいる。



台北から自走式の平渓線に乗って山奥へ。昔は炭鉱で栄えたエリアだが、現在は古びている。











その古さがいい。願い事が書かれた竹筒。それでも観光で頑張っている駅もあった。十分という駅は面白く線路沿いがお店になっているだけではなく、電車が通らない時には線路も使って商売をしている。地域の祭りで行っている願い事を書いた紙風船飛ばす事を観光客向けにもやっていたのでやってみた。願い事は写真の通りw























猴○駅という駅には猫が沢山いた。
















頑張って観光地として整備している感じがしたが、炭鉱が廃坑になりさびしげな雰囲気はありますね。空襲避難図があるのが印象的だ。







九分はまさに観光地という感じ。ハイスピードな(笑)タクシーでビューンとたどり着きました。



















狭い坂道にお店が並んでいます。京都の新京極の坂道が多いバージョンでしょうか。千と千尋の神隠し湯屋に似た建物や路地、お店などがあります。

台北への帰り道でアクシデント発生。特急に乗っている時の車内の改札で、車掌から反対の電車に乗っていると言われた。


丁度その場に居合わせた日本人ツアーの添乗員(台湾の人)が乗換の駅や戻るための電車の発着時間まで調べて教えてくれた。とても驚いた。うれしかったなぁ。添乗員のみなさんと握手して、電車を乗りかえた。手を振って電車を見送った。ふとホームをみると駅員が読書をしている。文化の違いを感じるわぁ。


夕食はホテル近くの一般向けの食事処。相性が良かったのか美味しかった。ピータンも美味しかったな。台湾ビールはかかせません。

3日目
午前中は台北駅近郊を見学。よくわからない人の像もあったし、鄭成功さんとかぎりぎりしっている人もいた。






献血のバスもあった。二二八和平公園という名前は台湾のタブーを隠さないような感じでいさぎよい感じがした。「犬(日本軍)去りて、豚(国民党軍)が来たる」ってやつだ。公園を見ると遊具の下にタータンがしいてある。こういう配慮は日本の公園にもっとあってもいいと思う。これなら落下時のダメージが軽減されそうだ。







総督府のあと、中正紀念堂を見学した。元からの台湾人にとっては嫌な施設だと思っている人もいるだろう。ここでも太極拳を練習している。
途中で見かけた学校のグランドはやっぱりタータン。ちゃんと国旗も掲げてある。砂や土のグランドは旅行中とうとう見かけなかったな。白色恐怖政治受難者紀念碑も見学してきた。一見日本統治前のオランダやスペインなどの白人の弾圧についてのことかと思ったが、第二次世界大戦後国民党軍が台湾に乗り込んできて恐怖政治を行った40年ぐらい弾圧され殺された台湾人を慰霊してあるようだ。こういった国の体制を変えた李登輝総統の存在は大きい。そしてその李登輝総統は大の日本びいきであることも忘れてはならない。歴史のパズルは一つずつ解けていく。

台湾のスタバで休憩。Taiwanって書いてもらいました☆









郵便局の建物は古めかしくてカッコいい。3階部分までは日本統治時代に建造されたものだ。北門(承恩門)は清が治めていたころに作られた5つ城門のうち、実在する最後の1門だ。こちらも歴史を感じる。北門駅に乗る際に目にした分厚いシェルター、厚さ30cmはあろうかという分厚い鉄の扉だ。有事の際はここを締めて非難するのであろうか。


そして海鮮料理だ。エビだ、ビール(昼間からw)だ!

ここで姉は帰国。ここからは一人旅だ。そして旅はさらにマニアックに、というか社会科見学?なっていく。

まずは台灣高鐵THSRにのって台中へ。途中のナルトの垂れ幕にテンションがちょっと上がる。快適快速の旅で台中へ。

まずは台湾民俗文物館に行ってきました。台中までくると日本語はおろか、英語を話せる人もほとんどおらず、あげく漢字を書けなかったりする運ちゃんもいたのでタクシーで行先を伝えるのも一苦労だった。ここは時間があまったので適当に選んだ行先なのだが、ここで運命の出会いが待っているとは。閉館間際のこの施設は現在メンテナンス中のようで閑散していた。こういう室内で暮らしていたんだなぁぐらいなものだ。ここから、今夜行く空手道場までの道のりを受付の青年に英語で聞いた。タクシーで行くことは容易なのだが、時間もあるし、不便な状態の方が台湾との人とも交流ができるし、どんな人間性を持っているのかがわかるだろうと思いタクシー以外の方法で行くことにした。スマホを使わないのも同様の理由だ。調べれば楽だが、その分台湾の人との接点を失ってしまうので旅行中は封印。また旅の大事なことは観光地をスムーズに回ることより、ストーリーがうまれることが大事だと思っている。
受付の青年は通りがかりの女性と一緒に空手道場近くのバス停までの行き方を調べてくれた。途中水を飲みながら待つようにとコップをだしてくれた。調べて結果を地図で教えてくれようとしたがバス停やバスの路線は複雑だ。「もう仕事が終わるからバス停まで一緒にいってあげる」的なことを言って、一緒に歩いてくれた。感激した。





バス停に着くと、路線番号や降車バス停を教えてくれた。教えたら帰るんだろうなと思っていたら、一緒に座ってバスを待ってくれた!お互いの出身地のことや趣味のこと仕事のことなどを話した。壁がなくなっていくように感じた。そして話は結婚や恋愛の話に。僕が未婚であり、そして彼にはとてもかわいい彼女がいることが発覚。ちょっと溝がうまれたw まあこんなに素晴らしい青年なので、そこは祝福するしかなかったww





 渋滞でバスが遅れて50分ほどしてバスがやってきた。乗車までずっと一緒にいてくれた彼に大感謝である。名前に一部に2人とも「佑」の字があった。これも何かの縁なのだろうか。

バスは町中を走っていく。目的地で下りようとして、お金を払おうとしたら、お金はいらないのサイン。このバスは基本ICカードで乗降するようになっている。バスに乗るときに青年が運転手と話していたことを思い出した。きっと「こいつは旅行者でICカードを持っていない(しかも彼女のいないかわいそうな)やつだからタダで乗せてやってくれといってくれたのかもしれない。ちなみに台湾は空気が悪い。排ガスとChinaからのPM2.5の影響らしい。のどが痛くなって、咳がコホコホでた。台北よりも台中、台南はもっと悪い印象がある。スクーターの台数も多い。特に台中は地下鉄などがないせいかスクーターが多い。走行車両のうち3割くらいはスクーターではないだろうか。
 無事空手道場にたどり着いた。ここは僕が通っている空手道場の台湾支部なのである。少年部の稽古をチラっと見学して、さあ稽古開始。その日(金曜)は週の中で一番ゆるーい稽古をする日だと言っていたが、旅行モードの体には結構ハードでしたw 2,3日筋肉痛だった。 土曜は4時間スパーをすると言っていた。




一日ずれて訪問していたら大変なことになっていただろうw
稽古終わりに先生が焼肉に連れていってくれました。乗りたいなーと思っていたスクーターにのっけてもらうことができました。台湾行くとスクーターが沢山走っているので乗りたくなりますよ!うまい焼肉が疲れた体にしみこみました。その晩は道場で寝かせていただきました。親切にしてもらって感謝感謝です。

4日目
5時半ぐらいには起床して出立します。今日ほど多くのところを回る日もないので、早朝から動き出します。

まずは台中駅へ行き、THSRで嘉義駅へ。映画「KANO」で話題になった地を訪ねます。「KANO」は日本統治時代に台湾人(漢人)、日本人、台湾原住民で構成される嘉義農業高校の子たちが甲子園で準優勝するっているノンフィクション映画です。嘉義公園・球場までは順調にたどりつきました。公園のいたるところで太極拳や社交ダンス、その他ダンス、バトミントンなどが行われています。遊具の下にはやはりタータン。公園の賑わい度は日本とは比較になりません、僕はこれぐらいにぎやかな公園の方が好きだなぁ。しかし子供達の姿が見当たりません。昨日の空手の先生が言っていたことが気になります。「台湾の子はフィリピンやタイ、日本の子たちと比べて体ができていない、勉強ばかりで遊ばないからだ。だからゆっくりとトレーニングをしている」というようなことを話されたのを思い出した。











嘉義神社跡も見学することができました。さあ次は嘉義農業高校の後継である嘉義大学に行きたいが行き方がわからないのと、嘉義大学にもいくつかキャンパスがあるようで、どれが嘉義農業高校を継ぐものなのかわからない。行き方と行く場所がわからない。
チャンスがあれば高齢者に話かけてみるというのも旅の課題の一つでした。日本語を話せるかもしれないからです。ちょうど公園にいたおじいちゃんに話しかけましたが、チャイニーズということで日本語は話せないようでした。でもその介護の方が英語を話せて、物知りそうなおばあちゃんをつかまえてくれました。なんとなく行きたい場所をわかってくれたようです。そのおばちゃんに連れられ、公園内で日本語ができる「先生」と呼ばれる方を紹介してくれました。日本語で話して目的地を確定することができました。目指すは嘉義大学農学部とはっきりしました。おばちゃんは再び歩き出し、タクシーを拾えるところまで連れていってくれて、電話でタクシーを呼び、タクシーの運ちゃんに目的地をつげてくれました。感謝感謝です。みんなで相談して助けようとする親切さと、コミュニティ力を感じました。






無事嘉義大学に着きました。大学では受験生向けの大学紹介をやっているような感じでした。楽しそうでなにより。駅へもどるためのバスがすぐに出発だったため「KANO」にまつわるモニュメントと大急ぎで写真撮影ですw 「天下の嘉農」。かっこいいですね。いい映画なので見てない人はおすすめです。

嘉義から台南まで移動して、日本の兵隊さんが祀られている場所までいきます。
飛虎将軍廟では零戦パイロットだった杉浦茂峰さんがご神体となっている。空中戦で被弾しながら、市街地を避けて墜落したことから地元では「守り神」と慕われている。









http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201609/CK2016092002000148.html
ちょうど茨城県水戸に里帰りしているようです。日本の航空会社は貨物で運ぼうとしたようですが、中華航空は一席用意してくれるという粋な配慮があったようです。水戸の実家や近隣の小学校などを訪問したようです。
ご神体が不在なのは残念でしたが、逆に里帰りの件を知ることができて胸があつくなりました。廟を参拝したときに「海ゆかば」を流してほしいと管理されている方にお願いしたら、「流すから、お前も歌え」的なことを言われて、急遽独唱することに(汗)。が戦死された兵隊さんの前だし恥ずかしがるのもと思い、がっつり歌いました。準国歌と言われる「海ゆかば」を歌詞をみずにちゃんと歌える30代もなかなかいないだろうな♪
訪問帳をみると平均一日一人ぐらい日本人が訪れているようです。台湾人も訪れており、僕が行ったときも若い女性が2人きていました。

まだまだ一日は終わりません。次は鳥頭山水庫(八田ダム)に向かいます。台湾で一番見たかった場所です。
























統治時代に日本人技師八田与一さんと奥様、日本人、台湾人が一体となって取り組んだ大工事。この当時東洋一の規模のダムが不毛の地だった嘉南を一大穀倉地帯に変えたようです。銅像や八田夫婦のお墓はしっかり手入れされています。作業中の住居も立て直し、さらにリペアしながら観光客に展示してあります。















キャンプの利用客や観光客(台湾人?)が多く、この地が大事にされている感じがありました。資料館ではダムができるまでの解説がしてありました。「俺、日本人です!」って名乗り出たいぐらいの雰囲気だったな。ダムと駅の間には畑が広がっています。運転手さんに何を作っているか(日本語も英語も通じないので、漢字を書いて聞く)聞くと「米」「菱角」とのこと。

今日の目的をはたし、駅の旅客服務(ガイドセンター)で明日の行動を相談してホテルへ。なんか達成感があるわ。予約なしだけど泊まれてよかった。










自転車を借りて、台南の街へ。台湾最古の孔子廟。やっぱり美味しいマンゴーかき氷。ノスタルジックな老街など旅行本に載っている場所を回り、その後は適当に町を走ります。祭りをやっているところも偶然出くわしてにぎやかで驚いた。

5日目
早朝から高雄に移動。高雄忠烈祠に行ってきました。昔高雄神社のあった場所が今は台湾のために命をささげた戦士たちの祠となっています。祈りをささげてきました。日本の鳥居や「大東亜戦争完遂祈願」と書かれた石塔がたっています。こういうのが残っているあたり、台湾と日本の関係性が感じられます。




そして高雄空港にいって、金門島へ。ここは台湾本島から280kmぐらい離れた離島で、逆にChinaからは2kmぐらいしか離れていない場所にあります。







台湾の山脈が見事に見えました。第二次世界大戦後日本が降伏・撤退したあと、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が行われたわけですが、その激戦地の一つが金門島です。台湾に追い詰められる国民党が金門島の戦いで共産党軍をくいとめることができたから、今の台湾があるわけです。この金門島の戦いには第二次大戦後内モンゴルからの日本人引き上げ者を守りながら日本まで見事撤退した根本博中将も蒋介石への恩返しのため、この金門島の戦いに参戦しています。日本軍と国民党軍は支那事変では敵だったわけですが、その国民党に協力する日本軍人がいるわけですから、当時の複雑性を感じます。歴史は複雑ですね。丁寧に読み解かなければいけません。

で、そんな金門島についたのが昼の12時ごろ、帰りは台北に帰るので帰りのチケットをとってから観光へって思ったんだけど、なんと!!夕方の便は全部満席(´Д`)台北どころか台中、台南、高雄、どこの便もありません。今日中に帰らないと、明日朝日本に戻る便に乗れない!唯一空いているのは12:50発の便。。。しかたないのでこれで帰ることに…。チケット購入や搭乗手続きがあるため、間の時間が10分くらいしかなかった。これではどこにも行けません…*1 とりあえず金門空港の看板と写真撮影。そして金門っぽいお土産ということで、キーホルダーとビーフジャーキーを購入!チャイナからの船で来ることもできるようで、中台の交流も盛んなようです。空港の待合席には金門島関係の書籍が沢山。小さい島なのに空港もあるし、実効支配してるって感じです。帰りのフライトはチャイナとの距離を測るため大陸側を見れるような席をお願いしたけど、うまく伝わらかったようだ。。。ちなみにビーフジャーキーは成田空港の検疫で回収されましたw いやー外国でローカル飛行機にネット予約なしに載ろうなんて難しかったわ。

14時頃には台北に帰ってきてしまいました…。台北駅のトイレには使用状況をしめすランプがあるのに驚いた。

ここからはブラブラと街をあるきます。捨己救人の像。どんなことが書いてあるのだろう。










神農市場というところに行くと人でがめちゃめちゃあった。今までぜんぜん見かけなかった子供達の姿も沢山あった。スタジアム跡を活用して、人が集まるスペースがうまれているようだ。子供が木登りしたり、物産展があったり、ダンスや大道芸的なものがあったり、高校生らしき集団が踊りの練習をしたりと老若男女がそろう良い場所だなって思った☆臭豆腐。ゲロの匂いがするw食べるとゲロとモツの間の味がする…。一緒に食べる調味料が大事かな。
そこから士林の夜市へ。ここは一人でいってもいづらい感じですが、とりあえず夜店を見物。












ゲームができる夜店がけっこうある。しかも射的・ボール投げ系や手で引くパチンコ、瓶を紐と輪っかで立てるみたいなゲームが多く、くじ引きは一切なかった。実力があれば商品をゲットできるものばかりだ。子供が夢中になってた。
旅のしめに再びマンゴーかき氷を食べたw

6日目
朝食は町中の一般的なお店で食べた。そして空港までいってびゅーん…と思いきや、最後の再びハプニングが。向かう空港を間違えていたのに途中で気が付いた。やっばい!来た空港は松山空港だったが、帰りは桃園空港だった。(=゚ω゚)ノ 時間がさしせまっている。行き方がわからない。ついにスマホを使わないといけないのか!てかそもそも間に合うのか!途中のモノレール駅で駅員に行き方を聞いてみた、バスがあるみたい、英語の説明を聞いて駅の外にでてみる。気が付いた駅が運よく空港行きのバスがでる駅だったみたいだ。しかしバスがかかる時間では間に合いそうもない。そこに丁度よく来たタクシーに飛び乗って空港へ。8時頃に空港着!発券手続き、荷物検査、出国手続きを終えゲートに行くとすでに搭乗が始まっていた。うわーぎりぎりだった!8時50分発 日本へ

*1:+_+