震災ボランティア9〜10月まとめ その1

9月、10月の連休で行った震災ボランティアのことを思い出しながら書きました。
まとめておこうと思います。

9月19日
長野の家を出発。岩手県南三陸町を目指します。

9月20日
高速道路を移動中に日付が変わる。4,5月に来た時よりも道路のガタガタが少なかったように思います。途中のPAで30分ほど仮眠をとりました。下道に降りて2時間程、南三陸町に到着。全部で10時間ほどかかったでしょうか。
着いたらボランティアの手続きを行って、作業へ。

眠い&雨で初日からなかなか過酷なことに。作業内容は元住宅地のがれきを3種類に仕分けることです。燃えるもの、鉄くず類、がれき類に分けます。くぎを踏みぬかないように長靴にはステンレスのインソールをいれます。
4,5月に行った今までのまだ立っている建物の泥出しと違って、がれきだけのだだっ広い元住宅地の中、ただただ作業するのはメンタル的にもなかなかハードなものです。
雨のため午前中で作業は終了となりました。
 時間が空いたのでテントを立てたあとは町内を回ってみました。

団地の上には流された車がまだ残っています。川にはがれきがまだ残っています、サケは戻って来れるのでしょうか、ずいぶんと水はキレイなのに。
道路は一部冠水しています。そして堤防の近くの道路は崩れ落ちたまま、堤防はぶち破られたままとなっています。
病院、会館などは4Fまで飲まれてしまっています。

病院でのできごと↓。ここにもたくさんの人生があったことでしょう。
http://blog.canpan.info/greenheart/archive/231


郵便局などは手がつけられていません。他の郵便局もそうですが、郵便局は手がつけられてないのはなぜだろう。
海岸沿いのマンションの屋上にでてみました。屋上は大丈夫ですが、最上階までは飲まれてしまっています。津波避難の建物なのに…。


防災対策本部です。遠藤さん他たくさんの方が避難の呼び掛けのために残り、殉職された場所です。たくさんの花や飲み物、思い出の品が手向けられています。
ここであったことはこの記事に記されています。こちらの4月12日の記事を見てみてください。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya.html
手を合わせて祈りました。ありがとうございます、と。


続いて動画によく登場する場所にいってみました。
老人ホームや高校がある場所。まさかこんな遠くまで、こんな高さまでと誰が想像したでしょう。そして被害にあった老人ホームと被害にあわなかった高校までは歩いて2分もかからないくらいでした。走れば20秒ぐらいなものです。ほんとこことあそこぐらいの差しかないのです。
う〜ん、切ないです。


気仙沼線は線路が消えています。

テントに戻って夕食です。
被災地一日目はこうして終わりました。